競馬事件、実際にあった競馬の八百長レース

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過去に存在する明らかな八百長レース

競馬では、過去には間違いなく八百長レースであったというものが存在する。
昭和6年に横浜で開催された競馬において3頭立ての障害レースが行われた。
実力的には大本命馬にコマツカゼ(金子禎助騎手)、次にセイカン(仲住達弥騎手)、そして大穴としてダテヤマトという出走メンバーであった。
しかし、この日ダテヤマトの馬券が大量に買われ、不穏な空気に包まれる。
そしてそのままレースが始まると、ダテヤマト以外の2頭は実にゆっくりとスタートを切ったという。
それは明らかに異常なスタートであり、出遅れた2頭の騎手はその後もまったく馬を追う素振りを見せず、そしてそのままゴール近くまで進んだ。
しかし本来ならば明らかに実力の落ちるダテヤマトはゴール前でバテてしまう。
すると他の2頭の騎手は明らかに手綱を引き、ダテヤマトがふらつきながらゴールするのを見守りゴールするというレースになった。
この明らかに負けるという不正行為を働いたコマツカゼと金子禎助騎手の当開催と次の秋季競馬の出走と騎乗の停止、そしてセイカンに騎乗した仲住達弥騎手とその父であり調教師の仲住与之助には当開催の出走・騎乗を見合わせる様に通達された。

八百長レースの全貌

この八百長事件はその後、山口という人物が約束を破ったとして仲住与之助を恐喝した事により警察の介入が入る事となる。
この八百長は山口という人物が仲住与之助に八百長を持ちかけ、金を受け取った仲住与之助が息子の仲住達弥騎手に八百長を実行させた事、そしてコマツカゼの馬主もまた共謀して金子禎助騎手に八百長を依頼していた事が事の真相である事が分かった。
これにより両騎手は3年間の騎乗停止の処分を受け、仲住与之助調教師と関与した馬主は永久追放という処分が下された。
仲住与之助調教師は横浜の名騎手である大野市太郎の弟子であり、帝室御賞典を数度拝授する等騎手として活躍した人物である。
騎手として引退した後独立して、競馬界の大厩舎として君臨していたわけだが、この事件をもって仲住与之助の厩舎は解散する事となってしまう。

現在では考えられないが、その当時の競馬は公正であったわけではなく八百長疑惑は日常化していた時代でもある。
今八百長がどこまで存在するか、それは不明な部分もあるが、少なくとも八百長をするには制限も多く、また八百長が難しい時代になっているという事は間違いないだろう。

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