競馬の馬主、シンボリルドルフと凱旋門賞

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競馬 馬主,シンボリルドルフ,凱旋門賞

幸運を持ったホースマン

競馬関係者には多くの事を一人で成そうとする人間もいる。
馬主登録は2年間の収入が1,700万円以上あり、且つ所有資産が7,500万円以上なければなれない。
逆に言えばそれだけあれば馬主になれ、その手を更に広める事が出来る。
競馬で一時代を築いた和田共弘氏もそんなホースマンである。

偉大な二人

日本の競馬の発展はサンデーサイレンスの輸入によって大きな成長を見せたが、それ以前にノーザンテーストとパーソロンという種牡馬の存在を忘れてはならない。
この2頭、ノーザンテーストを吉田善哉氏、パーソロンは和田共弘氏が持ち込んだ馬である。
種牡馬として一時代を築いた両馬だが、パーソロンはシンボリルドルフという、今も尚最高の1頭に数えられる名馬を誕生させた。
そして、そこにまた人が起こした悲劇は存在する。

シンボリルドルフ

パーソロンが生み出したシンボリルドルフ、和田共弘はこのシンボリルドルフに相当入れ込んでしまった。
放牧の時、馬房から離れずにずっと馬を見ている様な人だったというのは有名な話だが、それだけ入れ込んでしまう性格だからこそ、人の意見に耳を傾けるというよりも、自分の思う通りに実行するという性分だった。
この性分が、パーソロンという実績には乏しい馬でありながら輸入するに至ったという部分もあるだろう。
結果としてそれは成功を収めたわけだから否定する事は出来ない。
しかし、時にはそれが仇となる事もある。

シンボリルドルフを凱旋門賞に挑戦させる事になった。
しかしその過程はアメリカに行き、シンボリルドルフの強さをアメリカでも証明し、それから凱旋門賞に挑戦させようというものだった。
しかも、馬の輸送が現代ほど発達していない時にである。
当時、周りは大反対をしたが、その為にツアーまで計画していた事等も重なってか強行する形となった。
そして、シンボリルドルフはこのアメリカでの競走で怪我を負い引退する事となる。
競馬にたらればは禁物であるし、馬主の所有する競走馬である以上、馬主の意向が通るという事もわかる。
しかし、それによって競走馬に人災がもたらされるのは残念でならない。

競馬は結果が全てであり、怪我で出走出来なくなっても結果としては負けである。
だからこそ、勝つために良い状態で出走出来る様にする事も勝負の一つであり、それが競馬だと感じさせられる。

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